献血に行ってきました。昨日だけど。日の特徴としては女の人が多かった。それが印象的。俺が献血、献血書くもんだから、触発されて献血を始める人がかなり・・・と言っても10人前後なんだろうけど何だか嬉しい気分。俺が書くのも変だけどサンキューね。
身体を悪くしてからというもの、精神と行動と社会が合致する感覚というものを求めてて。それに一番近いのが献血だと気付いて・・・。でも、睡眠薬や鎮痛剤を何年も服用してたから、ずっと献血ルームに足を運べない時期が続いて・・・。そういうのがあったからこそ、そこにあるものと、その先にあるものに向かうのかもしれない。これからも献血できる体調を維持したい。維持しますよ。
10代、20代の人の献血者数が年々減ってるんだって。これは残念だわ。俺がいつもやってるのは成分献血(血小板)だけど、富山県は日に30人分必要とのこと。少ないようだけど毎日だから。かなり大変みたい。普通に健康な人はやった方が良いと思う。ボランティアだと思って。
血液製剤を必要とする人の大半はガンの患者さんなわけで、なかなかガンの人の手助けを出来る外部からの行動なんて献血の他にありません。最近“功徳”についてふとした時に考えるんだけど、針の痛みがあって、血液の処理があって、その先に患者さんが待ってて・・・。自分自身や家族が助かりたいという意識から来ているのかな・・・。両者の意思が交わされることがないという点に妙な価値を感じてしまう。本物の。
自己の遺伝子に働きかけることって掴みどころのない話や感覚のようだけど、血液と遺伝子の相互性から考えると最も自覚しやすい。献血の時に、血を抜かれながら考えたいこともあるわけで、そういうのは予め紙に書いておくんです。全然頭の働きが違うから特殊な考えが必要な時に便利。ブレークスルーに繫がりやすい。
血液全血・成分は国内で何とか足りてるけど、血漿分画製剤(アルブミン製剤、免疫グロブリン製剤、血液凝固因子製剤)は輸入に頼ってる部分が大きい。アルブミンは肝硬変などに使われ、免疫グロブリンは麻疹など、血液凝固因子は名の通り止血に用いられる。輸入だと副作用のコントロールやウィルスが混入するという危険性も完全に否定できない。「献血をしよう」という言葉にはそんな重い意味も含まれている。血は実に深い。その存在自体にに強く魅せられる今日この頃。